その頃向ひの家紅平といふ、小町紅を売る、京都でもやかましい紅屋でありましたが、その家に昔から伝はつた、小野の小町を描いた古画がありました。私はそれを借り受けて、たんねんに写し取つて置いた事があつた。
 火事の時に家財や、衣類などよりも、まつさきに取り出さなければならぬと、即座に頭にひらめいたものは、その小野小町の写しでした。
 これは私の十九歳のときでした。それからまた火事に逢ひました。それは恰度いまから六、七年前のことでした。今の住ひの竹屋町間之町のあたりに火を発して、その界隈が三、四軒やけた。
 風のある夜で警鐘の音、人のざわめきに、フト胸をつかるる思ひで二階へかけあがつて見ると、火の粉は暗い夜空に一面にとびちり、私のうちの屋根や庭に、ばらばらととびちつてくる。
 火元はとみれば、まるでぎす籠のやうになつて、すさまじい勢ひでもえてゐる。
 恐らくこの家も灰になつてしまふに違ひない。それにしてもまだ建ててから間もないこの家が、焼けてしまふのであらうか、恐らくはこの風に、この火の手ではとてものがれる処ではあるまい。